デブの主張と、幸せになるためのもっとも尊い言葉3つ

橘ひかこ

2010年09月09日 21:43

あまりにも悲しかったので、恥をしのんで、すべての事実をありのままに記す。




会社の先輩が突然、『セルライト撃退!コロコロローラー』をくれた。
このローラーで足とか腕とかをコロコロすると、刺激によって脂肪(セルライト)がみるみる落ちるという魔法のような器具である。帰りに東急ハンズでチェックしたところお値段1600円であった。

なぜ、このような器具をくださったのか、理由は完全に不明。
私はこの器具について、一度も話題にしたこともなければ欲しいと言ったこともなく、もちろん買ってきてと頼んだわけでもないのですがどういう意味ですか。本当にどういう意味ですか。






しかもね。
彼女はコロコロローラーをくれたのち、
「ひかこちゃんってさぁ、生まれてから今までの間に、痩せてる状態になったことある?」
などという、私が今まで生きてきた32年間の中で一番、一番衝撃的な発言をしてくださった。

ねえよ。
みりゃわかんだろうよ。

と言いたいところをグッとこらえ、
「イヤ~~ン、そんなぁ、聞かないでくださいよ~う、ありませんよ~~う。ていうか先輩はあるんですかどうなんじゃコラおぅおぅおぅ!」
と、どうみても私より巨漢な先輩に対して速やかに爆弾発言返しをする。

「うん、私もないからさー、ひかこちゃんも仲間かなーと思って」

ええ、ええ、そうね。仲間でしょうね、仲間でしょうとも。
世の中を「デブ仲間」と「ガリ仲間」のまっぷたつに分けたとするなら、私とアナタは間違いなく仲間でしょうともね!ああそうでしょうとも!
しかし!
いいかお前よく聞きなさいよ!
デブ仲間、と簡単にひとくくりにしてはいけない!
「ポッチャリ」「ボヨヨン」「パンパン」「ブヨブヨ」「ドスコイ」「ガチムチ」など、デブにも住み分けがあるではないか!
それを考慮すると、私は「ガチムチ」、あんたは「ボヨヨン」だ!
けっして仲間などではない!

と心の中で大変な勢いで憤慨していたところ、その恐ろしい会話を見かねたほかの先輩が
「ひかこちゃんは、あえてどちらかと言えば、百貫デブって言うよりはポッチャリタイプだから可愛くていいよ」
と何のフォローにもならない言葉を吐いた。

ううう、嬉しくないまったく一ミリも(T_T)

て言うかね。私はね。
長年自分のことを、ガッチリした筋肉デブいわゆるゴリマッチョと信じて疑わなかったんです。力こぶとかすごいし。
でもね。どうやらね。普通にポッチャリデブだったみたい。えへへ。グスッ。
悲しんだほうがいいのか喜んだほうがいいのかもうよくわからない。


ところでせっかく先輩が脂肪が劇的に落ちるという眉唾なコロコロローラーをくれたことだし、ダイエットでもしてみようと思い立つ。
そこでまずはおのれの現実と向き合うため、勇気を振り絞って体重計に乗ったところ、体重計が漫画のように音をたてて壊れた。







ねぇ。なに?なんなの?
喧嘩?
あんたこのアタイに喧嘩売ってんの?なんなの?
あ、何、要するにひょっとして重すぎってこと?
ていうかもしかして私が乗ったこれ、体重計じゃなくって、台所用のはかりか何か?
と体重計に思いっきりイヤミをぶつけるが埒があかない。
仕方なし、ここはひとつのん君に持ち上げてもらい、だいたいの目安を知ろうと思い立つ。

結果として、大変遺憾なことであるが、のん君の持つすべてのパワーを出し切っても、私の体は1ミリも持ち上がらなかったという事をご報告しておこうと思う。







もちろんこれは私の体が重いからではなく、のん君の腰がガラスの腰だからです。
それとたぶん、そのとき着ていた服が10kgsぐらいあったんだと思う。ほんとほんと。
あと、「こんなに重かったらお姫様ダッコなんて死んでも無理だね」と暴言を吐かれたことも記録しておこうと思う。



村上春樹氏の古いエッセイ(「村上朝日堂 はいほー!」新潮文庫)の中に
>>「そういうものだ」と「それがどうした」という言葉は人生における(とくに中年以降の人生における)ニ大キー・ワードである。経験的に言って、このふたつの言葉さえしっかり頭に刻み込んでおけば、たいていの人生は大過なくやりすごせてしまう。とある。

駅の階段を駆け上ったのに目の前で電車のドアが閉まった。そういうものだ。電車のドアというのは目の前で閉まるものだ。
その電車に乗れなかったおかげで待ち合わせの時間に遅れた。それがどうした。

そう思えばなんてことない、という話だ。

なんて素晴らしい教えなのでしょう。
私がこれを初めて読んだのは中学生の時だったと思うんだけど、それ以来このふたつの言葉は私の人生におけるもっとも尊い教えとして心に刻み込まれており、今でも何かと思い出しては再確認している。

それからもうひとつ、これは私の祖母と母から教えてもらった大変ありがたい言葉であるが

「知らんけど」

この言葉も、人間が幸せに生きていくうえでかなり重要となるキーワードである。知らんけど。

「それがどうした」「そういうものだ」「知らんけど」
この3つの言葉さえ胸に刻んでおけば、人は必ず幸せになれる。
(しかし当たり前だけど、仕事人間として会社で地位を得たい人にはお勧めしない。企業の中では絶対に成功しない。と思う。知らんけど)


世の中の不幸な人たちというのは、たいてい、考えてもしかたのないことを考えすぎている。また、恐ろしくネガティブで被害妄想が激しすぎる。
その不幸な状態から抜け出す方法などはいくらでも考えればいいが、自分が不幸であることの言い訳とか不幸な状態の確認とか、クヨクヨ考えていてもどうにもならない。
しあわせな人々がまったく気にしないようなことをネチネチと気にしてわざわざ嫌な思いをして、そうして自分で自分を不幸へ追い込んでいる人たちを見ていると、本当にかわいそうに思う。

嫌なこと、自分にストレスになることは、この3つのキーワードで軽く乗り切るべきなのである。




私も今こそ、この尊い言葉の力を最大限に使わせてもらおうと思う。



おれさまの体重が、同じ年代の女性の標準値を大幅に超えている、だって?


それがどうした。そんなもんだ。知らんけど。





よしっ。



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